心待ちにしてくれる人を思い
二村さんに突然、就農の話が持ち上がったのは22歳、1981年のことでした。400頭の養豚をはじめ水稲とリンゴの3本柱で農業を営んでいた父が前触れもなく倒れ、1週間後には亡くなってしまったのです。自宅は新築したばかりで借金が残されました。
「(農地を)売れば、家は残るから」と離農を勧める周囲に対し、父と二人で農園を育ててきた母は、嫌だと涙。「じゃあ、私が」と手を挙げたのが二村さんでした。会社員としての生活が充実し始めたころでした。
ちょうどそのころ、梓川地区では全国に先駆けて取り組んでいたリンゴのわい化栽培が実を結びつつありました。樹形をコンパクトに仕立てることで早期結実と効率的な作業ができる革新的な栽培方法です。「農業人口を一人でも増やしたい」と県の(農業改良)普及員として働いていた夫・賢二さん(埼玉県出身)との出会いも後押しとなり、二村さんはこの方法を積極導入。作業性が高く、良質なリンゴを実らせる園地づくりへとつながりました。
手塩にかけたリンゴで高い収益を上げるため、JAに出荷する一方、相対取引で販売する努力を重ねました。十分な見返りを得ることで「農業が楽しくてしょうがない」と思うように。今ではJAあづみの大型農産物直売所「安曇野スイス村ハイジの里」で、個人の成績としては売り上げトップクラスを誇ります。
「夜中まで箱詰めに追われるなど苦労もありますが『二村さんのリンゴがいい』と言ってくださる電話も入ります。うれしいですね」と二村さん。楽しそうにリンゴ栽培に打ち込む二村さんを見ていた次男の光さんは、大学卒業後ほどなく後継者に。今では夫人の友美さんも勤めを辞めて加わり、定年で県職員を退いた賢二さんと4人で3㌶余のリンゴ園を、それぞれ担当区画を決めて管理しています。
JAや土地改良区の理事、市の農業委員など役職を引き受ける一方、地元の小中学生を相手にバスケットボールの指導に駆け回る日々。「収穫を心待ちにしているお客さんの顔を思えば、自然に力も入ります」と農家の充実感を語っています。
PROFILE
二村喜子(にむら のぶこ)さん
二村喜子さんは松本市梓川出身。22歳の時に父の急逝を受け就農。夫とともに早くからリンゴのわい化栽培を積極的に導入。JA及び土地改良区の理事、松本市の農業委員。








